大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京地方裁判所 昭和31年(モ)8900号 判決

債権者 望月荘平

右代理人弁護士 三輪長生

右復代理人弁護士 奥村達也

債務者 小川孜

右代理人弁護士 塩坂雄策

同 渡辺幸吉

主文

本件仮処分決定を取消す。

債権者の申請を棄却する。

訴訟費用は債権者の負担とする。

この判決の第一項は仮りにこれを執行することができる。

事実

≪省略≫

理由

一、次の事実は当事者間に争がない。すなわち、

訴外秋山明が、訴外都筑弘所有の別紙目録記載の土地を賃借しそこに同目録記載の建物を所有していたこと、債務者は昭和二十五年頃訴外秋山明から右建物の内南半分の十二坪の部分を家賃月額六千円で賃借し、これを工具製造の工場及び住居として使用していたが、右建物について、訴外秋山明の債権者である訴外復興建築助成株式会社から昭和二十九年十一月強制競売の申立があり、同年同月十三日その登記がなされるに至つたので、昭和三十年十一月これを競落し、所有権を取得したこと、一方債権者が右競売手続の進行中であることを知りながら、昭和三十年九月一日締結の債権者主張の賃貸借契約によつて右土地を地主都筑弘から賃借したこと。

二、而して証人望月重春の証言により真正に成立したことが疏明せられる甲第一号証、成立に争のない甲第五号証及び乙第一号証の一ないし八、証人秋山明、同望月重春の各証言及び債務者本人の供述を綜合すると、本件建物は表面上外部との関係では前記の通り訴外秋山明の所有に属するものとされてはいたが、その内実は、同訴外人の妻の父である訴外望月重春の経営に係る訴外千代田木材株式会社の所有で、同会社において、前記の通りその一部を債務者に賃貸し、その家賃も訴外秋山明を通じて訴外望月重春がこれを受領していたものであること、そして同訴外会社は、昭和二十五年頃から本件建物のその余の部分に東京出張所を置いて、東京に於ける営業のため使用し、訴外秋山明を雇傭して、東京出張所長と言う資格で、会社の東京に於ける業務を処理せしめていたが、この場合も外部関係では秋山明個人の営業として取引をなさしめていたものであるところ、右出張所における営業は訴外秋山明の経営宜しきを得なかつたために、昭和二十九年に至つて失敗に帰し、負債を生じて、前記の通り本件建物は競売に附せられるに至つたこと、債権者が本件土地を賃借したのは、別にこれを自ら使用する必要があるわけではなく、債権者の父である訴外望月重春が、前記千代田木材株式会社の東京出張所として従前通りこれを使用するため、昭和三十年九月一日自ら地主と交渉して、形式上まづ訴外秋山明の代理人として地主の訴外都筑弘との間に合意でその賃貸借契約を解除すると同時に、あらためて表面上の名義のみを債権者として賃貸借契約を結んだもので、その実質上の借主はやはり訴外望月重春ないし訴外会社であること、債務者は、本件建物において常時七人の工員を使用して工具製造の工場を経営して生計を立て、業績がようやく好調に向つて来たが、本件建物を収去せざるを得ないにおいては、その死活に関する重大な損害を蒙ること、そして債権者は本件建物の隣家に居住し当然これを推知し得べき関係にあること、がいずれも疏明せられる。

三、ところで訴外秋山明と訴外都筑弘との間の右土地賃貸借契約の合意解除は、本件建物に対する競売申立の登記簿記入の後になされたものであるから、その差押の効力として、右解除による賃貸借の終了は、この建物の競落人である債務者に対抗し得ず、賃貸借はなお有効に存続しているものと解すべきであり、そして、また民法第三百八十八条の規定の趣旨を類推して、債務者は右建物を競落すると共に、訴外秋山明からこの土地の賃借権をも承継したものと解釈するのが相当であるが、この借地権の承継について、地主の訴外都筑弘がいまだこれを承諾していないことは弁論の全趣旨によつて明かであるから、債務者は右借地権の承継を地主である同訴外人に対抗し得ない結果地主との関係においては、権限なくしてこれを使用しているものと言わざるを得ないし、また債権者と訴外都筑弘との間の本件土地の前記賃貸借契約は、債権者において前記競売手続の進行中であることを知りながら債務者主張の如き意図をもつてこれを結んだものであつても、訴外都筑弘はこれを知らずしてなしたものであることは債務者も認めるところであり、また同訴外人が債権者と通謀しこれに協力して右の如き意図を実現せしめる目的でこれを結んだと言う疏明は見当らないから、この賃貸借契約は、それ自体は、地主との関係で、公序良俗に反する無効のものとは言えないのである。従つて訴外都筑弘は本件土地所有権に基いて債務者に対し本件建物を収去して土地を明渡すべく請求する権利を有し、債権者はこの土地の賃借権に基いて同訴外人に代位して右明渡請求権を行使する権利を有するものと言わなければならない。そして此の場合は右借地権につき対抗要件を具備することを要しないのである。

四、しかしながら、前記一、及び二、において認定の事実によると、訴外秋山明及び債権者は、本件土地建物の事実上及び経済上の関係において、いずれも訴外望月重春ないし訴外千代田木材株式会社の手先に過ぎず、これらの者は実質上同一人と目して差支えないから、本件代位権の行使はいわば、借地人がその地上に所有の建物を競売に付せられ、借家人がこれを競落したのに対して、この競落人を害する目的で、更に形式上他人の名義で借地し、この借地権に基いて右建物の収去土地明渡を求める場合と同一に解せられるのであつて、此のような権利行使は、競売建物の所有者として、またその賃貸人として、信義に反するものといわなければならないのである。殊に前記疏明によると、債務者は、本件建物を競落するまで家賃の支払を滞つたこともなく、別に借家人として責むべき事情のなかつたことが窺われるのであつて、このような債務者に対して、前記の如き大きな損害を与えることを知りながら、本件代位権の行使をするのは、吾人の社会生活を規律すべき信義誠実の原則に反するもの、との非難を免れ得ないのである。されば債権者の本件代位権の行使は権利の濫用として許されないというべきである。

五、債権者は、訴外千代田木材株式会社に使用せしめる必要上本件代位権の行使をするのであると言うが、もともと本件建物は債務者にその一部を賃貸していたもので、債権者がその全部を使用することはできなかつたものである。のみでなく、かりにこのような必要があつても、この代位権の行使に対する前記の如き評価に変りはないし、債務者が地主から請求されれば本件土地を明渡さざるを得ないと言うことは、右の評価に関係はない。また債権者は、本件建物の競落価額との関係で債務者は損失を蒙らないと言うが、債務者の本件建物収去に因る損失は、この関係のみで計ることは出来ないのであつて、その損失が甚大なものであることは前記の通りであるから債権者の言うところは本件代位権の行使を弁護すべき理由となすに価しないのである。

六、されば債権者主張の本件被保全権利の存在は、これを認め得ても、債権者はこれを行使し得ない関係に在るのみでなく、債権者が本件仮処分を必要とする事情として主張する事実もこれを疏明するに足る資料がなく、また前記認定の事実関係の下においては保証をもつて疏明に代えて本件仮処分を維持するのは適当ではないから、本件仮処分申請は理由がないものと言わなければならない。

七、よつて本件仮処分決定を取消し、申請を棄却すべきものとし訴訟費用の負担について民事訴訟第八十九条を、仮執行の宣言について同法第百九十六条を適用して主文の通り判決する。

(裁判官 松永信和)

〈以下省略〉

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例